エブリーネット

文章がかなり拙い中学生の頃の記事もありますが、これは戒めです。

福田隆浩「ふたり」 ―小6の時に課題図書だった本を読んでみよう―

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中学受験を控えた小学6年生の准一は、転校生の佳純が偶然落とした本を見て、自分と同じく彼女もミステリー作家・月森和の大ファンだと知る。別名義が存在するという月森和の謎を追うため、図書館に通ううちに二人は段々と親交が深まってゆく…

親の離婚や障害、佳純へのいじめなど様々な問題を抱える中で、何よりも互いを信じ合う二人が本当に尊い。作者は長崎県で支援学校の教諭をされている方で、思春期初めごろのクラスの雰囲気や佳純の母の聴覚障害の描写が自然で、心情や行動の表現も丁寧だった。

(余談だが、舞台が具体的にどこであるかは作中では明かされない。ただ「隣のI市」は諫早市、「高速バスで3時間の都会F市」は福岡市だろうからおそらく長崎市なのだろう。こっそりと初詣に行く「諏訪神社」だけは唯一固有名詞として出てくるし、別に長崎を伏せなくていいのに…) 


ちなみにこの本は、ちょうど私が小学6年生の時(2014年)の読書感想文コンクール課題図書に選出されていた。(この本も確実に見かけたはず。結局は何の本で書いたのだったかなあ) 課題図書としての紹介文には「友情冒険物語」として説明されているけど、自分としてはこれ以上無いぐらいの純愛物語だと思うのでちょっと違和感がある。小学生への課題図書として堂々とそういうことを謳うのは難しかったのかな…

あえて言うと、本書は児童文学としては傑作でも感想文は書きにくいタイプの本だとも思う。読書・いじめ・障害・受験…と含まれている要素が多いので、「どこかの要素に着目してなんとか書けそうだ」とは思うかもしれないが、今まさにそれらに直面している子供たちにとってはかなり大きなテーマだ。この本を通して自分の人生を俯瞰して文章を書ける小学生はなかなか少ないのではないか。

私は小学生の頃いわば「図鑑タイプ」の本好きで、司書さんに「お話の本も読みましょう」と言われていたぐらいだった。20歳を迎えた今年、なぜか児童文学をよく読むようになって「あの頃の自分ならどう感じただろう、色々読んでおけばよかったな」と思わせてくれた一冊だった。

はじめて・母の日

母の日のプレゼントを初めて贈った。別に感謝の気持ちを伝えたいわけではない。

 

数日前に読み終えた本が幼少期の自分を描いているようで気に入ったので、この本について母と話したいと思った。最初は8月に帰省する時に持って帰ろうかとも思ったが、随分と先のことになってしまうのをじれったく感じて、過ぎた母の日の贈り物という体裁を取ることにした。

とりあえず彦根駅前の郵便局でレターパック・ライトを買ってきたのはいいが、ただ本だけを入れて送ると、受け取った母は何のことか分からないだろう。これが母の日のプレゼントであることを記したメモ書きぐらいは入れておくべきだ。まずはホームセンター・アヤハディオでカッターナイフと指定ゴミ袋を買ったレシートの裏に「遅くなりましたが母の日です。最近読んで面白かった本を送りますのでご確認ください」と走り書きしてみた。これなら必ず捨ててもらえるはずだ。インターネット上に訳の分からない文章を投稿している奴が何を言うんだと思われるかもしれないが、私は自分が他者に宛てて書いた手紙が残るのがとにかく苦手だ。心情的なことは一切書かないし、用件を知ったらすぐに捨ててほしいと思っている。しかしながら、レシートの裏に書くといつもの捻くれたおふざけと認識されそうなので、本立てに差してある便箋帳から一枚破り取って同じ文を書き直した。

正直母がどのような反応をするかは分からない。ただまあ読書の趣味は割と合うので、届いて読んだという故郷からの連絡が楽しみだ。

【創作道徳教材】ぼくじゃないです

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きょう、ぼくたち家族は同級生の広田くんの家族と、郊外のショッピングセンターの中にある食べほうだいのレストランに行きました。

レストランからの帰り道、昼下りの混み合った通路でのことです。広田くんの弟のダイちゃんが、前を歩いていた若い男の人の靴を踏んでしまいました。しかし、男の人は何だというふうに近くにいたぼくの方をにらんできます。にらまれたぼくは、とっさに「ぼくじゃないです、この子」とダイちゃんを指しました。ダイちゃんを見た男の人は少し驚いたような顔をして人混みの中に消えていきましたが、急に知らない人にジロジロと見られた3年生のダイちゃんは、不安そうな顔をしてうつむいてしまいました。

そして、それを見たぼくも、自分のしたことは本当に正しかったのかともやもやした気持ちになりました。

<考えてみよう>
〇「ぼく」に指された「ダイちゃん」はどのような気持ちになったでしょうか。
〇あなたが「ぼく」ならどのような行動を取りますか。

 

私が小学生の時のほぼ実話です。「ダイちゃん」が靴を踏んだのは事実であり、彼自身も申し訳ないと思っている…しかし「ぼく」は年上だからといって非のないことを認め、年下の子をかばうべきだったのか…?という正解の無い、いかにもありそうな道徳教材。

コンビニ「オレンジハート」展開の研究

現在は青森を中心としたローカルコンビニとして知られる「オレンジハート」であるが、本部の「エフシープロイ」が東京に本部を置いていたり、長野県内にごく僅かに店舗があったり、はたまた別府や指宿などの九州地方にも比較的近年まで店舗があったりとそのチェーン展開には不可解とも取れる点がある。そこで当記事では、日本経済新聞及びその関連新聞の検索システムを利用し、Wikipedia等に掲載されていない情報を中心にチェーン拡大の概況をまとめる。

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(オレンジハート金木店―フリー百科事典「Wikipedia」より)

 

1982年 マイショップ北関東設立

ローソンに勤務していた工藤道雄氏(1944年生まれ/長野県出身)がマイショップチェーンの地域本部として東京に「マイショップ北関東」を設立。

マイショップは関西発祥のボランタリーチェーンで、大手コンビニよりもミニスーパー的性質の強い店舗と各地域本部を中心とした組織が特徴的だった。しかしながら中央本部の指導力の弱さや、効率的なシステム化が成されなかったことなどから、1986年に中央本部である協同組合マイショップチェーンは解散することとなる。

 

1984年 EOS(補充発注システム)を導入

 

1986年10月 マイショップ北関東、オレンジハートと業務提携

マイショップ北関東は、東京に本社を置く独立系チェーン「オレンジハート」と提携し、情報処理・商品供給業務を担う株式会社流通を核とした「流通グループ」を形成した。先述のように同年マイショップの中央本部が解散しており、影響を受けた形。

 

1987年1月 マイショップトーキョー・ジャパンが合流

流通グループに「マイショップトーキョー・ジャパン」が合流。また同年POS(販売時点情報管理システム)を導入した。

 

1988年3月 流通がマイショップ北関東・オレンジハートを吸収

株式会社流通が、加盟店の運営指導を担うマイショップ北関東及び、業務提携を続けていたチェーン本部のオレンジハートを吸収合併した。また3月5日には準加盟店制度の開始や九州・東北地方への進出等の拡大策に先んじて、資本金2100万円から5000万円へと大幅に増資した。

 

1988年6月 準加盟店制度を導入

加入しても改装はせず、プレートを掲げるのみの準加盟店としてチェーンに加盟した店には受発注用の端末機を設置し、本部取扱いの全商品を供給した。また毎週1回の新商品や売れ筋商品の情報、それらの陳列方法を盛り込んだ会報や、各店の販売データから売れ筋動向を分析しその結果を郵送するとしていた。同チェーンは当時、ロイヤルティーとして加盟店から売り上げの2%を徴収していたが、準加盟店からは会費として毎月定額で3万円程度を集め、ロイヤルティーの代わりとすることとした。準加盟店は首都圏を中心に開拓し、1989年の2月までに約50店にする計画だった。

 

1988年12月 地域本部制により東北地方へ進出

流通は、青森県十和田市の食品問屋「三本木商事」とエリアフランチャイズ契約を結び、青森県へ進出することを決定した。これまで手掛けてきたファストフード重視策などの店舗運営ノウハウを活かし全国チェーンを目指す戦略の一環で、九州地区でもエリアFCの結成を進めることとした。

この店舗戦略には、既にセブン-イレブンやスパー等の大手チェーンが多数展開していた長野県に同チェーンが進出した際、店内調理食品の強化により他店との差別化及び店舗の高粗利率を実現させた背景があった他、建物建築費などの初期投資を小さくし、省エネルギー型冷蔵庫を導入するなどの低コスト策も含まれていた。

 

 

○出典

1989/03/28 日経流通新聞 12ページ「流通(東京)――ファーストフードで集客(激戦区を生きる地方コンビニ)」

1988/03/03 日経流通新聞 12ページ「コンビニの流通、チェーン店拡大へ準加盟店制度を導入」

1987/10/17 日経流通新聞 5ページ「流通社長工藤道雄氏――東京・長野を中心に年20店出店を(話題Who’sWho)」

オレンジハート - Wikipedia

マイショップ - Wikipedia

コンビニ研究「パンデス」

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(1994年5月3日 日本経済新聞朝刊12ページより)

「パンデス」は敷島製パン(パスコ)が展開するコンビニエンスストア。1994年6月、名古屋市に一号店を出店したのを皮切りに、中部地方フランチャイズチェーン方式で出店した。従前より同社が展開しており、比較的小型店(17~66㎡)が多かった「ニュージョイス」に比べ大型の店舗(約66~132㎡)と焼き立てパンを特徴とし、冷凍のパン生地を敷島製パンから貸与された設備で焼いて提供。FC契約は5年でロイヤリティは売上の約1.5%だった。

小学生日記

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小学5年生の時の「わたしの生活ノート」が出てきた。連絡帳的なアレだ。どんなことを書いているのだろう、と読み返していると思い出したことが一つある。

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冬のとある日。インフルエンザで欠席します、という内容で、翌日の予定などを隣の席の女の子が代筆している。多分向こうは覚えていないであろう、この字にまつわるちょっとしたお話。

確かこの連絡帳が書かれる2年前、小3のときにも彼女とは同じクラスだったのだが、当時国語の授業では漢字の小テストの相互採点が行われていた。漢字ドリルに付属する10問程度のものを互いに採点しあうテストだ。漢字が大好きで、漢字字典を熟読して50問テストでは必ず95点以上を奪取していた私。小テストもやすやすとこなしていたつもりだったのだが、習字の達者な彼女はそれらに10点中6点や7点をつけてくるのである。「ここは跳ねない」「突き抜けないで」「はらいが足りないよ」とニコニコしながら楽しそうに毎回毎回難癖をつけてくるのがとにかく嫌だった。習字の先生の真似事をしてか、上から赤い鉛筆で手本まで書いてくる。「字なんか読めればいいだろう、意地悪だなあ」「どれだけ頑張っても8点どまりじゃないか。何としても満点を取らせたくないんだな」「誰にでもこんなことをやっているの?」…と口には出さないが不満を持っていた。私は漢字だけにはとにかく自信があったもので、そのプライドをへし折るような採点には全く納得がいかなかったのである。

 

それから2度のクラス替えを経て5年生に。新しい担任は(当時の自分には)画期的に思えた席次を導入した。いわゆる「コの字型配列」である。議会のように真ん中が空く、話し合いに適したフォーメーションだ。その割にはこのクラスで活発な話し合いをした記憶はないが…

 

そんなことはともかく、このコの字において私は彼女と向かいあう席になった。それから数日後の帰りの会のこと。最後に担任の話を聞く際、この陣形には教壇に立つ人物の方をまっすぐ向ける児童が三面のうち一面にしかいないという根本的な欠点があるため、どうしても我々両サイドの人間は横を向くような形で話を聞くしかない。とはいえずっと横を向き続けると疲れてしまうのでたまには真正面を向くのだが、その時、彼女とぱっと目があってしまった。少し気まずく思ってすぐにそらしたが、妙に気になってもう一度見ると、なぜか満面の笑みで軽く手まで振っている。「真面目な子だと思っていたけど、先生が熱心に話しているときによくそんなことするなあ」とは思いつつ、意外に可愛らしいところもあるなあ、と照れながら手を振りかえした。

金魚のジョン

あす1月15日から大学入学共通テストが始まり、いよいよ受験シーズンらしくなってきました。自分自身も昨年度大学入試を受けたわけですが、個人的に受験勉強のイメージと強く結びついている曲があります。


www.youtube.com

それがこちら、ホタルライトヒルズバンドの「金魚のジョン」です。当時は勉強中にBGMがわりとしてNHK-FMの「ベストオブクラシック」という番組をかけていたのですが、番組終了後隔日で「みんなのうた」が放送されており、その中で流れていた一曲です。

www.nhk.or.jp

 

近所の祭り 金魚すくい
僕が巡り会えたジョン
お名前に特に理由はない
ただ呼びやすかったから
ジョン

家族の愛を一心に受けて
すくすく育ったねジョン
宿題もごはんもそっちのけ
いつだって一緒だった

同級生のケンタが
犬を飼ってるの羨ましくて
サンタにまで願った僕が
やっと手に入れた相棒

水槽の中 季節はめぐる
幸せ太りしたジョン
まさかこんなにデッカくなるなんて
くるりターン出来なくなった

じっと見つめて父さんが言った
もはやこれは鯉だ、ジョン
何が彼の幸せか
家族で話し合った

もっと広い世界で
のびのび泳いだ方が
きっとジョンのためだろうと
みんな分かっていた
でもそんなの嫌だよと
弟がしくしく泣き出した
僕もとうとう我慢出来ず
わんわん泣いた

ついにこの日がやってきた
いよいよお引越しだねジョン
水槽を車に積み込んで
ゆらゆら 隣町へ

おじいちゃんちの 裏庭の池
水を得た魚だねジョン
「ともだちができた」と言って
目を細めたおじいちゃん

はじめての僕の相棒
「また、会いに来るからね」
のぞきこんだ水の中
ジョンがくるりターンした

 

 

すくった金魚「ジョン」を飼っていた男の子が、大きくなったジョンをおじいさんの池に放す、それだけといえばそれだけですが、ちいさな物語と癖になるメロディーをもつ歌。

個人的には最後の「ジョンがくるりターンした」の部分の軽快さが特に気に入っていろいろな人に勧めていました。たしか隣の席の子が聴いてくれて、「私はお父さんの『もはやこれは鯉だ、ジョン』の部分が好きだな」と言ってくれたのだったかなあ。