エブリーネット

文章がかなり拙い中学生の頃の記事もありますが、これは戒めです。

コンビニ「オレンジハート」展開の研究

現在は青森を中心としたローカルコンビニとして知られる「オレンジハート」であるが、本部の「エフシープロイ」が東京に本部を置いていたり、長野県内にごく僅かに店舗があったり、はたまた別府や指宿などの九州地方にも比較的近年まで店舗があったりとそのチェーン展開には不可解とも取れる点がある。そこで当記事では、日本経済新聞及びその関連新聞の検索システムを利用し、Wikipedia等に掲載されていない情報を中心にチェーン拡大の概況をまとめる。

f:id:makochan1975:20220320015556j:plain

(オレンジハート金木店―フリー百科事典「Wikipedia」より)

 

1982年 マイショップ北関東設立

ローソンに勤務していた工藤道雄氏(1944年生まれ/長野県出身)がマイショップチェーンの地域本部として東京に「マイショップ北関東」を設立。

マイショップは関西発祥のボランタリーチェーンで、大手コンビニよりもミニスーパー的性質の強い店舗と各地域本部を中心とした組織が特徴的だった。しかしながら中央本部の指導力の弱さや、効率的なシステム化が成されなかったことなどから、1986年に中央本部である協同組合マイショップチェーンは解散することとなる。

 

1984年 EOS(補充発注システム)を導入

 

1986年10月 マイショップ北関東、オレンジハートと業務提携

マイショップ北関東は、東京に本社を置く独立系チェーン「オレンジハート」と提携し、情報処理・商品供給業務を担う株式会社流通を核とした「流通グループ」を形成した。先述のように同年マイショップの中央本部が解散しており、影響を受けた形。

 

1987年1月 マイショップトーキョー・ジャパンが合流

流通グループに「マイショップトーキョー・ジャパン」が合流。また同年POS(販売時点情報管理システム)を導入した。

 

1988年3月 流通がマイショップ北関東・オレンジハートを吸収

株式会社流通が、加盟店の運営指導を担うマイショップ北関東及び、業務提携を続けていたチェーン本部のオレンジハートを吸収合併した。また3月5日には準加盟店制度の開始や九州・東北地方への進出等の拡大策に先んじて、資本金2100万円から5000万円へと大幅に増資した。

 

1988年6月 準加盟店制度を導入

加入しても改装はせず、プレートを掲げるのみの準加盟店としてチェーンに加盟した店には受発注用の端末機を設置し、本部取扱いの全商品を供給した。また毎週1回の新商品や売れ筋商品の情報、それらの陳列方法を盛り込んだ会報や、各店の販売データから売れ筋動向を分析しその結果を郵送するとしていた。同チェーンは当時、ロイヤルティーとして加盟店から売り上げの2%を徴収していたが、準加盟店からは会費として毎月定額で3万円程度を集め、ロイヤルティーの代わりとすることとした。準加盟店は首都圏を中心に開拓し、1989年の2月までに約50店にする計画だった。

 

1988年12月 地域本部制により東北地方へ進出

流通は、青森県十和田市の食品問屋「三本木商事」とエリアフランチャイズ契約を結び、青森県へ進出することを決定した。これまで手掛けてきたファストフード重視策などの店舗運営ノウハウを活かし全国チェーンを目指す戦略の一環で、九州地区でもエリアFCの結成を進めることとした。

この店舗戦略には、既にセブン-イレブンやスパー等の大手チェーンが多数展開していた長野県に同チェーンが進出した際、店内調理食品の強化により他店との差別化及び店舗の高粗利率を実現させた背景があった他、建物建築費などの初期投資を小さくし、省エネルギー型冷蔵庫を導入するなどの低コスト策も含まれていた。

 

 

○出典

1989/03/28 日経流通新聞 12ページ「流通(東京)――ファーストフードで集客(激戦区を生きる地方コンビニ)」

1988/03/03 日経流通新聞 12ページ「コンビニの流通、チェーン店拡大へ準加盟店制度を導入」

1987/10/17 日経流通新聞 5ページ「流通社長工藤道雄氏――東京・長野を中心に年20店出店を(話題Who’sWho)」

オレンジハート - Wikipedia

マイショップ - Wikipedia