まずはこの記事を読んでほしい。
単刀直入にいえばこの「一期一会」は綿密なマーケティングリサーチを経て、徹底的に読者層に最適化した児童小説シリーズである。
”送り手の思い込みではなく顧客の好みや憧れに寄り添うことが重要だ――とはビジネスの世界では飽きるほど言われている。
小説版『一期一会』シリーズは「児童書の恋愛ものは『こういうもの』」「児童書の文章や挿絵、コラムの入れ方は『こういうもの』」という送り手の思い込みにとらわれず、徹底的に顧客の好みや憧れに寄り添うことで、当初の想定以上に長く愛されるものになった。”
ここで近年の「児童書の恋愛もの」(というにはあまりに淡すぎるか)でも、「一期一会」よりも一般的だといえる、伝統的なフォーマットに倣ったものを見てみよう。
「ベランダに手をふって」(作:葉山エミ 絵:植田たてり 講談社刊) 15ページ
上のページはあるサイトが「初恋のイデア」と評しているものだ。この物語は、登校する際に母親に手を振る習慣をやめたいが、それによって母親を傷つけたくはないと考える少年を主人公としている。父親を幼い頃に亡くしている彼は、全編にわたって相手の気持ちをとにかく考え、大切にしている。そして意中の少女に向けられるまなざしもまた、温かく穏やかなものだ。
対して「一期一会」はどう違うのだろうか。違うといっても別に冷淡なわけではない。むしろたいへん直截的に分かりやすく恋情を表現する。主役が小学生だとすると不自然なシーンもあるが、あえて読者としてのターゲットである小学生ではなく、中高生をメインキャラクターに据えることによって違和感を克服している。女子小学生が「身近さ」も「憧れ」も感じることができる存在として女子中高生は妥当だろう。(逆に男子中高生に憧れる男子小学生、の構図はあまり見たことないな、どうしてだろうか?)
「一期一会」と対照的な、伝統的フォーマットを踏襲する作品を他にも見渡すと、一冊の本をきっかけに図書館で親交を深めるものであったり、そもそも「人が好き」だということはどういうことか?と考えるものであったりと、長めの児童書の主人公はたいてい真面目なよく考える子が多い。そして200ページぐらいあるような本を読む子はおおよそそのような性格だろう。つまりはこちらも「一期一会」と同じように、対象となる読者層がある程度は自らを重ねて読めるような設定である。
もっとも、作家になるようなタイプの人が無意識に想像し、創造する少年少女像の多くが真面目な子になりがちという側面もあるため、読者層を想定して最適化しようというビジネス的な考えによるものがあるのかは微妙であるが…(これはただの結果論かもしれない) そして、このような本をたくさん読んだ子供の一部がまた作家になるという循環構造もあるはずだ。
もしかすると「一期一会」はとっつきにくい部分もある児童文学の世界に風穴を開けた作品群なのかもしれない。「本を読まない子が初めて最後まで読めた」という声はまさに核心を突いているように思う。