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文章がかなり拙い中学生の頃の記事もありますが、これは戒めです。

大分縦断鉄道唱歌を作詞しました

「汽笛一声新橋を はや我が汽車は離れたり 愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として」… 鉄道唱歌は明治時代に作られ、全国各地の名勝や特産を伝える歌として親しまれてきました。

 

しかし!我が大分があまり扱われていません。鉄道の開通が遅く、当時完成していた宇佐までの歌詞となっているのです。(厳密には「新鉄道唱歌」などにはあるのですがあまりにマイナー…)そこで私は自作しようと思い立ち、しこしことGooglekeepに詞を書き溜めていたのですが、ひょんなことから実際に歌ってくださる方が現れました!


【歌ってみた】大分縦断鉄道唱歌(まくわうり様オリジナル歌詞)

 

(たまたまやり取りしたアカウントの名前が「まくわうり」でしたのでこの名目でクレジットされていますが、「piyo」としてブログでの紹介を認めていただいています)

 

<歌詞>

豊前小倉をいざ発ちて 行橋宇島過ぎ行けば
間もなく来たる中津駅 福沢諭吉の生まれし地

列車を降りればまず見ゆる 合元寺の赤き壁 
城井鎮房の怨霊と 未だに話を伝え聞く

中津は豊前の繁華の地 商業工業栄え行きて
名高くなりし耶馬渓の 道も此処より遠からず

宇佐と呼ばれて八幡宮 四万四千の総本社
御許山の麓にて おろがむ旅客の数多し

参宮旧線沿線を 今なお走るバスの道
高田の町を過ぎ行けば 夕日に名高き真玉あり

柳ヶ浦の田園に 小高く見ゆるは掩体壕
先の戦争の追憶に 平和の誓い新しく

清き流れの八坂川 架かる石橋眼鏡橋
眺むる広き田園に 稲穂輝く中山香


山々開けて杵築市の 守江の湾に城ありて
島津と大友両氏の 戦いし地も此処と言う

日出の城下の名産は 麦焼酎に海の幸
酒の肴にこれぞ良き 鱧の湯引きに牡蠣鰈

暘谷豊岡亀川と 旅客もますます増えゆきて
遥けき家並湯の煙 我は別府に着きにけり

堀田や鉄輪明礬や 数えて別府の八湯を
巡りてしばし安らいで 地獄何処と見にゆかん

聳える山は由布鶴見 志高の湖に索道に
かしこも楽しここも良し 別府の旅の楽しさよ

浜脇温泉過ぎたれば 泉都別府と別れゆく
交通繁き国道は 日豊貫く十号線

左に望むは別府湾 右は猿山高崎の
動物園に水族館 別大電車の跡もなし

菡萏港の客船を 海に眺むる貨物駅 
西大分を過ぎ行けば 大分駅へと至るなり

九州各地を結びたる 三線此処に集まりて
県内交通要の地 要町とも名付けたり

北は府内の繁華の地 南に上野の森青く
大分県庁所在の地 人口四十七万余
 
大分出づれば煙突に なびく煙の数多し 
製鉄製紙造船に 伸びゆく鶴崎新産都

列車は幸崎佐賀関 鯵鯖知られる港町
古き軽便鉄道の 名残探せば大志生木

野超え山超え熊崎へ 海水浴に此処ぞ良き
仏舎利塔を横に見て 臼杵の町ははや近し

臼杵は稲葉の城下町 海川望む工場に
その名知れたる味噌醤油 聳える木樽は世界一

津久見の白き山肌は セメント業の証なり
養殖漁業の黒鮪 夏は蜜柑の鈴なりに

保戸島黒島地無垢島 巡る島々絵の如し
青く輝く津久見湾 日代の駅にほど近し

浅海井駅より見渡すは 二見ヶ浦の朝ぼらけ
夫婦の岩に架け渡す その注連縄は日本一

九州一と謳わるる 流れの清き番匠の
川の拓きしこの原は 佐伯平野と呼ばれたり

海産物に恵まれて 毛利の下に栄えけり
蒲江鶴見の漁港へも 一度訪ねよ旅ならば

宗太郎峠の山中に 造りし苦労ぞ忍ばるる
更に続きし日豊線 延岡宮崎鹿児島へ